5月29日(水)、ラグビーを通じて東日本大震災の被災地復興を支援するNPO法人・スクラム釜石(代表・石山次郎)が東京・高田馬場にあるラグビー・ダイナー『ノーサイドクラブ』で開催している「釜石ナイト」の特別版、「日本代表ウェールズ戦必勝祈念企画・プレイバック1983」が開かれた。
これは、1983年10月22日、ラグビーの聖地と呼ばれるウエールズの首都カーディフ、旧アームズパーク(ナショナルスタジアム)で、日本代表がウエールズ代表を24対29まで追い詰めた伝説の試合を振り返り、日本が世界に肉薄した秘訣とエキスを探ろうという企画。
遠征チームで主将を務めたSO松尾雄治さん(新日鉄釜石=所属は当時、以下同)はじめ、プロップ石山次郎さん(同)、フランカー千田美智仁さん(同)、ロック林敏之さん(神戸製鋼)、フッカー藤田剛さん(日新製鋼)、WTB金谷福身さん(同)という6人のレジェンドをゲストに招いてのトークショーは、当時の試合映像を振り返りながら、予定の2時間を大幅に超える熱狂・爆笑の連続となり、会場を埋めた50人の聴衆も大満足の様子だった。
司会進行は、ラグビー中継や熊谷ラグビー場、昨年9月の釜石・神戸V7OBマッチでの場内アナウンスでおなじみ、フリーアナウンサーの四家秀治さんが務めた。
RUGBYJapan365では、「スクラム釜石」のご協力をいただき、このトークイベントの様子を収録した。
この記事は、日本ラグビー史において奇跡と言われた伝説の80分間を可能にした信頼と愛を、名手たちが余すところなく語り尽くしたものである。
(なお、購読料金の一部は、NPO法人「スクラム釜石」の東北復興支援活動費として拠出させていただきます)
試合はいよいよ後半に突入。大きくリードされた桜のジャージーの猛反撃に、レジェンドたちのボルテージも急上昇!会場は熱狂、興奮の渦に飲み込まれた――
後半へ突入―(アームズパークの芝は柔らかくて、走りにくい)
林 キックオフは厳しかったですね。ロックには「このタイミングなら間違いなく捕れる」というのがあるんですよ。なのに、僕が「よっしゃ、捕った!」と思って跳んだとき、後ろからスッと手が伸びてきて、盗られて。アレはショックでした。日本では僕もデカい方(184センチ)だったけど、相手のLOは196センチくらいあった。でもLOとして負けちゃイカンから、当たりは絶対に負けへんぞという気持ちで。
松尾 それと、アームズパークの芝がまた、柔らかくて、我々には走りにくいんだよね。気持ちいいんだけど。そういえば、この遠征の第1戦(対アバティレリークラブ)のグラウンドがすごい傾斜だったよな。「何でこんなところでやるんだ?」と思ったよ。
金谷 坂道に無理やりラグビー場を作った感じでしたね。
松尾 こんなところじゃできねえよ、と思ったら、向こうの人が「前後半で入れ代わるから同じだろ」って。前半は坂の上から攻めてリードしたけど、後半は坂の下になってね。洞口に聞いたら、スクラムはえらい重かったって。何たって上から押してくるんだから……。でも最近、洞口くんが夢に出てきて呼ぶんだよ、早くこっちへ、天国へ来いって呼ぶんだ(笑)。もうちょっと待ってろ、どうせ時が来たら行くからって言ってるんだけど。